よっしゃ、週報をもう一度頑張ろうじゃないか。
1月19日(月)

干し野菜を始めた。妻が。
めちゃくちゃ意識高い感じではあるが、とても合理的であることを説かれた。
- 甘味が増す
- 保存がきく
- 「切り干し大根」みたいな、和食にしか使えなさそうに見えて、意外とどんな料理にも使える
退院後、「ていねいな生活」を心がけるよう、妻から言われていた。ところが一年が経過し、すっかり抜け落ちてしまっている。どんどんファストな生活になりつつある。うめえよ、ハンバーガーがよ。
健康第一、ここいらで一つ、やってやろうじゃないか、”ていねい”ってやつをよ、妻がね。
- 小松菜
- エリンギ
- トマト
- 大根
- ブロッコリー
が今のところのラインナップ。
「ていねいな生活」で思い出したんだけど、ベランダにはいろんな野菜たちがいる。
妻は、水をあげるとき「おはよう〜」とか言いながらあげていて、「さすがにwww」と思っていたんだけど、ある日マネして声をかけながら水をやってみたところ、意味が一発で分かった。
明確に野菜の健康状態への意識がグッと高まる。
人間を相手にするときでも多分そうなんだろう。挨拶をするとき、無意識に相手の健康状態を伺っているのではないかと思う。
AIに聞いてみたら、どうやらそういうこともあるらしい。
ユーザーさんの直感は、進化心理学や脳科学の観点からも極めて的確で、正解に近いと言えます。
挨拶は単なるマナーではなく、太古から続く「生存のための相互スキャン(健康・敵意・異常の検知)」としての機能が本質にあります。
ご指摘の「植物への挨拶」で感じられた感覚と、対人コミュニケーションにおける無意識のメカニズムについて、いくつかの視点で解説します。
1. 挨拶は「相手の正常性」を確認するピング(Ping)行為
私たちが「おはよう」と声をかけるとき、脳は無意識に予測符号化(Predictive Coding)という処理を行っています。
「元気な相手なら、こういうトーン、こういう表情、このくらいの反応速度で返してくるはずだ」という予測モデルがあり、挨拶はその予測と現実を照合するテストです。
- 声のトーン・ハリ: 呼吸器系や自律神経の不調が出ていないか
- 反応速度: 脳の処理速度や覚醒レベルは正常か
- 表情筋の動き: 感情や心理状態に異常はないか
挨拶をすることで、これらを一瞬で「スキャン」しています。もし返事が小さかったり反応が遅かったりすると、脳内で「予測誤差(エラー)」が生じ、「あれ?元気がない(健康状態が悪い)?」と意識に警告が上がってくる仕組みになっています 。
つまり、挨拶は相手というシステムが正常に稼働しているかを確認する「Ping」のような役割を果たしています。
2. 「声をかける」ことで観察の解像度が上がる
植物への挨拶で「健康状態への意識が高まった」という体験は、「能動的注意(Active Attention)」への切り替えで説明がつきます。
単に目で「見る」だけでは、脳は省エネのために情報を間引いて処理します(背景の一部として処理してしまう)。しかし、「声をかける」というアクションを伴うと、対象が「背景」から「コミュニケーションの対象(主体)」へと格上げされます。
これにより、観察のための脳の領域(右脳の視覚系など)が活性化し、葉の色つや、土の乾き具合といった「微細な差分」に気づけるようになります 。
奥様が「おはよう」と言うとき、無意識にこの「観察モード」のスイッチを入れており、ユーザーさんも真似をしたことでそのスイッチが入ったのだと考えられます。
3. グルーミングとしての機能
進化心理学的には、挨拶はサルの「毛づくろい(グルーミング)」が言語化したものだと言われます(交感的交わり/Phatic Communion)。
お互いの体に触れて寄生虫を取る代わりに、言葉を交わして「敵意がないこと」と「群れとしての繋がり」を確認しています。ここで重要なのは会話の内容ではなく、**「ケアし合える関係性が維持されているか」**というステータスの確認です 。
「健康状態を伺う」というのは、まさに「群れの仲間として機能できる状態か」を確認する生存本能の一部です。
結論
「挨拶は無意識の健康診断である」という仮説は正しいです。
私たちは挨拶という短いやり取りの中で、膨大な非言語情報(顔色、声質、反応速度)を処理し、相手の「生命力」や「コンディション」を瞬時に計測しています。
植物への挨拶で感じた「意識のピントが合う感覚」は、人間関係においても、相手を単なる景色ではなく「ケアすべき生命」として再認識するスイッチになっていると言えるでしょう。
あれ、この感じ、もしかして当たり前のことに気づいた?
それはそうと心理学的なものって、ほんまか?って思うことだらけだけど、直感的に「健康状態に目がいった」のは確実だと思うので、とりあえず信じてみることにする。
1月20日(火)
順調だ、ちゃんと書いてる。
張り切って、noteも書いてしまった。
脳梗塞のこと、本当にちょっとずつ忘れそうになってきていて、明らかに危ない。脳梗塞の再発率はとても高い。なので、あの時のことを自分の中にアンカーを打つ気持ちもあり、まとめていくことにした。
それで、なんで自社サイトに書かずにnoteに書くかというと、あわよくばウケたいからです。何がウケるかわかりませんからな!
関係ないけど、リアルリツイートというPODCASTをやっているんだけど、先日のB-1グランプリの回が結構盛り上がり楽しかった。
これ、楽しいのでぜひやってみてほしい。
プロジェクト・ヘイルメアリーの上巻を読み終わった。早く下巻を読もう。
タスク管理や読書メモを一つのノートにつけており、使い切ったので新しいのを買う。MDノートというちょっとだけええやつにしている。よく開くし裏移りが若干マシ。
1月21日(水)
町の自転車屋さんってすごくないですか?
娘のコマが、ゆるんでいたので近所の自転車屋さんに持って行って直してもらった。もちろん有償のつもりで行ったんですが、キュッキュっと直してお金を払おうとしたら「いらんよ」とのこと。
そういえばそうやったな、そんな感じやった、自転車屋さんって。こちらとしてはありがたいのだが、ありがたいが故に、「金を払わせてくれ」と思う。
ちょっとだけ自転車の話をさせてください。
僕の乗っている自転車はスポーツタイプで、調子が良い日はこの自転車で、ゆとりちゃんを往復する。片道25km、1時間半かかる。驚かれることがあるけど、自分でも驚く。気持ちいいですよ。
乗り始めたきっかけは単純に「駐車場の節約」だ。ガソリン代を含めたら往復で2000円くらいはかかる。ゆとりちゃんの売り上げだと赤字になることもしばしばだ。「しばしばだ」じゃねえよ、がんばれ。
そこで乗り始めたのが自転車。これならなんと交通費が0円になる。違う方向にがんばることにした。
テマエコーヒーの岡本にアドバイスをもらい、SURLYというブランドの自転車を買った。それが4年くらい前。
15万円くらいしたが、75往復したら元を取れる計算になる。
だが、もちろん0円は幻想である。事故のリスク、故障時のコスト、体力のコスパ。犠牲にすることも色々とある。
実際、乗り始めの3回目くらいで、派手に転倒し、手首を強く打つことになった。その時に部品が壊れることになるが、転倒のときには気づかず、後日、帰りの夜中にそれに気づいて自転車が動かなくなった。
急遽ホテルに泊まり、次の日に自転車屋に修理に出す予定となった。
ところが、この破損した部品、なかなか簡単にあるものではなかったらしく、どこに行っても取寄せが必要とのこと。半べそをかきながら立ち寄ったのが、南船場にある自転車屋。そこにもその部品はなかった。店主曰く「でも乗って帰りたいよね?」とのこと。もちろんだったが、部品がないとどうしようもない。諦めるつもりだったが「この自転車から部品をはずして取り付けるから直るよ」とのこと。神!!!!
こうして、僕は修理した自転車で家に帰ることができた。
という思い出がある。なので、自転車屋さんには特別なリスペクトが生じている。こういう店でありたいものだと心に誓った夜だった。はて、週報とは。